2013/11/09

“神さまがくれた耳”

アメリカの学校で理科の授業中、実験に使っていたマウスが逃げ出してしまいました。女性の教師が皆に探させましたが見つかりません。そこで全員を席に着かせ、自信たっぷりにこう言いました、「これだけ探して発見できないのなら、あとは、モリス君にお願いしましょう」と。途端に「ちょっと待って、何でアイツが」という声があちこちから起こります。教室はざわめき、一人が「先生、モリスには無理です」と手を挙げて言いました。実はモリスは目が不自由なのでした。すると教師は答えました、「なるほど、確かに目が不自由です。だからモリス君には無理だと、みんなは思うかもしれません。でも、先生は知っています。モリス君は目が不自由でも、神様から素晴らしい能力をもらっています。それは聴力です。それを生かせば必ずマウスを見つけてくれると、先生は信じています。モリス君、お願いできますか?」。そして、モリスは期待に応えて見事にマウスを捜し出したのです。その日の日記にモリスはこう書き残しました、「あのとき、僕は生まれ変わった。先生は僕の耳を神様がくれた耳と言って、褒めてくれた。僕はそれまで目が不自由なことを、心の中で重荷に感じていた。でも先生が褒めてくれたことで、僕には大きな自信がついた」と。

このマウス事件から十数年後、神の耳を生かして音楽の道に進んだスティービー・モリスは、シンガー・ソングライターとして鮮烈なデビューを果たします。「スティービー・ワンダー」という名前で。
 もしも、モリスがあの女性の教師に出会っていなかったら、今も目が不自由なことを重荷に感じ、生きていたかもしれません。けれどもモリスは変わったのです。自分の良いところを褒めてくれた、一人の教師によって。「神様がくれた耳」と言ってくれた先生の言葉のおかげで。

誰にでも「自分は人よりも劣っている」と思える点があるものです。しかし、そこで劣等感を募らせるか、神さまが授けてくださったものに注目し、活かそうとするか。人生が喜びに溢れるかどうかは、自分をデザインなさった造り主である神を喜べるかどうか、それと一つのことではないでしょうか。