2016/07/03

マタイ(マシュー)の男前な一言


皆さんは、『赤毛のアン』の登場人物が語るセリフの中で、どれがもっともお気に入りですか。

名セリフ満載の物語なので、意見がわかれそうですが、私のお気に入りは、物語の初めの方、第3章に出てくるマシューのシブイ一言です。

グリーン・ゲイブルズ
緑の切妻壁の家に、独身のまま二人で暮らし、いまや年老いてしまったマシューとマリラの兄妹は、農作業を手伝わせるために孤児院から男の子をもらい受けようとします。しかし、仲介役のスペンサー夫人の手違いで、やってきたのは「かなり濃いまっ赤な髪」の「やせていて、そばかすだらけ」の女の子でした。女の子では農作業の手伝いにはならず、かわいそうですが孤児院に送り返すしかありません。実際、マリラはそうするつもりでした。でも、マシューがそうしたくなさそうなことに気づいて、マリラは決心を促すかのようにこう問いかけます。「あの子がなんの役にたつというんです?」ところが、マシューがおずおずと口にしたのは思いもかけない一言でした。「わしらが、あの子の役にたつかもしれんよ」。いやー、シビレますね。一度は言ってみたい、なんとも男前なセリフです。


マシューは、自分たちの思いを越えた出来事に、なんらかのメッセージを感じ取ったのでしょう。だから、「アンが自分たちになにをしてくれるのか」から、「自分たちがアンになにをしてあげられるのか」へと考え方を転換させたのだと思います。そして、このような考え方の転換が、やがて変わり映えのしない退屈なものだったマシューとマリラの生活を、さらにはプリンス・エドワード島の人々の生活を大きく変えていくことになります。想像力に溢れ、喜びの目をもって世界をつねに新鮮なものとして見ることのできるアンの存在が、人々を触発し、人々の中に眠っていた若々しい気持ちや愛情を思い出させていくのです。


物語の終盤、成長したアンをクイーン学院に送り出すことになったマシューは誇らしげにこうつぶやきます。「あの子がいてくれて、わしらはしあわせだった。あのスペンサーのおくさんがしなすったまちがいほど、運がよかったものはなかったんだ――あれが運だとするなら。いや、そんなもんじゃない。あれは天のおみちびきだ。神さまは、わしらにはアンがいなくちゃならんことをご存じだったんだ」。

信仰を与えられるとは、「自分中心」から「神中心」へ置き換わることだとよく言われます。それは、神様の僕となることですから、確かに従属的ではあり、一見したところ消極的な生き方に見えなくもありません。でも、それは正しい見方ではないと思います。マシューが示してくれているのは、自分の思いではなく神様の導きに従って生きることが、狭い自分の殻を破るチャレンジングで積極的な生き方でもあるということなのです。