2012/12/01

ミシュカ


『ミシュカ』はクマのぬいぐるみです。

ある日、持ち主の女の子から乱暴に扱われることに耐えられなくなり、逃げ出してしまいます。すると、自分がクマであることを実感させてくれる出来事が、森には幾らでもありました。自由を満喫するミシュカ。何とも言えない喜びが込み上げて来ます。けれども、自分がしたいことは本当にこんなことであったのだろうか、と思い始めもするのでした。すると、小鳥たちの「もうすぐクリスマス。何か善いことをしなくちゃいけない日」というさえずりが聞こえてきました。そこでミシュカは自分にできる善いことを探し始めるのですが、ちょうど、サンタクロースを手伝ってクリスマスプレゼントを配達しているトナカイに出会います。ミシュカは大喜びで手伝いますが、プレゼントを配り終えたところ、最後にもう一件、病弱な男の子の家があることに気付きました。困惑するミシュカ。しかし、プレゼントはもうありません。トナカイの眼差しは、そんなミシュカに向けられています。するとミシュカは、自由に遊び回った森を見回し、深呼吸をして、ゆっくりと男の子の家に入り、部屋の中に置かれた木靴の中に入り込んで、静かに朝を待つのでした(新教出版社)。

クリスマスにふさわしい善いこと、それは自分を必要としているひとと共にあり、それを喜びとしながら献身することです。二千年前のクリスマス、救い主イエスさまが世に来られ、やがて十字架の上で死なれたのも、献身にほかなりません。そこには本物の愛が宿り、真実の希望が示されているのです。

2012/11/01

かちかちやま


『かちかちやま』(福音館書店)を知っていますか?

 ある日、じいさまが豆をまいていると、その豆が育たないように、タヌキがはやし立てました。怒ったじいさまがくわを投げつけると、あわれタヌキは捕まります。そしてばあさまの手でタヌキじるにされそうになりますが、じいさまのいないすきに、タヌキはばあさまにおそいかかり、うちころしてしまいました。帰って来たじいさまは、ばあさまに化けたタヌキにニセモノのタヌキじる(中身はばあさま!)を食べさせられます。タヌキはそれを見て、元の姿に戻って逃げてしまいました。すると、ウサギがやって来て、悲しむじいさまに代わってかたき討ちをしてくれます。そしてタヌキは徹底的に懲らしめられ、ついにドロ舟もろとも溺れ死ぬのでした。

大人の中には、このお話に出て来るタヌキを「悪者」と決めつける人がいますが、ボクはそうは思いません。タヌキにだって言い分はあるはずです。もともと山には人間はおらず、タヌキは自由に暮らしていました。そこへ人間が勝手に入って来て家を建て、勝手に畑を耕して暮らし始めたのです。その人間が自分を食べると知ったなら、タヌキだって必死になるのは当たり前です。あなたがタヌキだったら、きっとそう思うはず。

『かちかちやま』がおもしろいのは、正義の味方が勝ち、悪者が負けるからではありません(勧善懲悪ではない)。命がけの戦いと、その決着を見られるからです。どんどはらい。

2012/10/01

3びきのやぎのがらがらどん


『3びきのやぎのがらがらどん』(福音館書店)はボクが大好きな絵本の一つです。

トロルという怪物がいる谷の上の橋を渡って、むこうの山の草を食べに行くヤギたちが主人公です。小さいやぎのがらがらどんが橋を渡ると、トロルが食べようとしますが、自分よりも大きなヤギが後から来る、と言って橋を渡ります。次に中くらいのヤギが橋を渡ると、やはりトロルが食べようとしますが、自分よりももっと大きなヤギが後から来る、と言って橋を渡ります。するとそのとき、もう大きいヤギのがらがらどんがやって来ていて、おそいかかろうとするトロルに戦いをいどみ、コテンパンのズタズタにやっつけてしまうのです。そして3びきのヤギはみんな橋を渡って草を食べ、丸まると太って冬を越した、というお話です。

このお話を読んだ大人の中には、「自分は戦わないでお兄さんたちを頼るのはおかしい」とか「甘えた子どもになる」と言って、子どもに読ませない人もあるそうです。でも、自分に勝ち目はないことと、負けたら食べられることを知っているのですから、お兄さんを頼るのはまちがいではありません。それどころか、とてもかしこいとボクは思います。お兄さんやお姉さんがいないお友だちもあるでしょうが、教会では「イエスさまが一番大きいヤギのがらがらどんですよ」と教えています。そう、イエスさまはあなたのお兄さんです(ロマ8.29)。イエスさまが、あなたの代わりにトロルや悪魔と戦って、必ず勝ってくださいます。そのためにも、自分が神の家族の子ども、イエスさまの弟、妹だと信じてください。

2012/09/01

自分の顔が好きですか?


ボクは小学生だったある日、鏡に映った自分の顔を(たぶん初めて)よーく見ることになりました。自分のまゆ毛の長さや角度が右と左とでちょっとだけ、ずれているように思えたからです。その時、何だかとてもイヤな気持ちになったので、安全カミソリを使って左のまゆ毛を少し剃ってみました。すると反対にずれたように思えたので、今度は右のまゆ毛を少しだけ剃りました。そうしたら元のずれ方に戻った気がしたので、もう一度、二度、三度と、同じことを繰り返したのです。その結果、なんとボクのまゆ毛は、ひとひらの“きざみのり”のようになってしまいました(涙

自分を造ってくださった神さまを忘れて自分ばかりを見つめていると、自分を好きになれなくなります。そうなると、自分のことだけではなく、神さまがお与えになった家族やお友だちも、神さまが備えてくださっている自然も、そして神さまご自身をも愛せなくなってしまいます。これを「罪」と言うのです。

神さまはおっしゃいます、「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し」ている、と(イザヤ書43.4)。そしてボクを「わたしの栄光のために創造し/形づくり、完成した者」と呼び続けてくださいます(イザヤ書43.7)。ボクはこの神さまと出合えたので、今はもう自分の顔が大好きになりました。そして、家族や友だち、自然のすべてがとても大事に思えるようになったのです。あなたは自分の顔が好きですか?

2012/08/01

大統領の娘のように


元アメリカ大統領のカーターが、エジプトの大統領とイスラエルの首相(そうりだいじん)との3人で、中東和平(へいわ)について話し合うことになりました。「終わるまで誰にも邪魔されたくない」と言い残して、3人とも会議室に入って行きました。しばらくすると、この部屋のドアを誰かがノックするのです。3人は顔を見合わせました。「誰だろう」と思ってカーター大統領がドアを開けると、そこには8歳の娘のエイミーちゃんが立っていました。「パパ、ちょっといい?」とエイミーがたずねます。カーター大統領は「まあ、いいだろう」と言って部屋に入るように合図しました。そこでエイミーは、3人の大人たちの話を中断させなければならなかった理由を説明したのです。

「あのね、お小遣いがなくなったの。5ドル貸してくれない?」
カーター大統領は笑いながら「いいよ」と言って、財布からお金を出してエイミーに渡した、ということです。

他のひとだったら絶対に許されないことでも、大統領の娘ならいいのです。エイミーはお父さんの愛を信じて、自分がいつでもおとうさんとお話ができる、どんな小さな悩み事でも聞いてもらえると信じていました。

あなたと神さまとがそうです。あなたが神さまを父と呼び、その愛を信じて悩みを打ち明けるなら、神さまは必ず答えてくださいます。横須賀小川町教会には大統領はいませんが、この神さまがいらっしゃいます。だからぜひ来てください。


2012/07/01

炎(ほのお)のランナー


スポーツのおまつり、と言えばオリンピックですね。

今年は7月27日から8月12日まで、イギリスのロンドンでひらかれます。夜ふかししないように注意しましょう。

今から88年前(1924年)、このオリンピックがフランスのパリでひらかれたとき、こんなことがありました。エリック・リデルは、100メートルきょうそうに出るイギリスのだいひょうせんしゅでした。
ところが、100メートルきょうそうのしあいが日曜日になったので、「この日に走るのは神さまのみ心ではない」と信じて、出場するのをやめてパリで礼拝したのです。イギリスの人たちはおこりましたが、この話を聞いた別のせんしゅが、エリックに感心して「ボクのかわりにキミが400メートルきょうそうを走ればよい」と言ってくれました。そこで友だちに代わって400メートルを走ったところ、エリックがゆうしょうしたのです。

エリックはイギリスに金メダルをもってかえります。けれども、それからはもうオリンピックで走るのはやめました。そして牧師になるのです。牧師になって、イエスさまの物語をとおく中国まで伝えに行くためでした。

「イエスさまのことを知らない人がおおぜいいる中国に行くのが神さまのみ心だ」、そう信じて、そのように生きたのです。大きなお友だちは、映画『炎のランナー』をぜひみてください。
ちなみに、このエリックは43さいで死にました。1945年2月21日、もう少しで戦争が終わるというときに、中国にある日本軍の収容所において。

2012/06/01

教会(きょうかい)のたんじょう日


61日は、横須賀小川町教会の60さいのたんじょう日でした。
だから、もしもみなさん「教会のおたんじょう日、おめでとう」といってくれたら、教会のおじさんやおばさんは、みんな「ありがとう」とへんじをしてくれます(たんじょう日がすぎていても、ためしにいってみてください)。

もちろんボクも、そして教会のおねえさんやおにいさん、おばあさんやおじいさんも「ありがとう」とへんじをしますよ(きっと!)。ただし、そこでおぼえていてほしいことがあるのです。それは、教会が本当は、60年前よりももっとむかしからあった、ということです。

教会は、世かい中のどの国にもありますが、じつはいくつもの教会があるのではなくて、むかしから一つの教会しかないのです。その教会が、まるで木のえだのように、いろいろな国、町、村、そしていろいろなじだいにグングンのびて、ひろがっていきました。
教会のえだがはいりこんでいない国は一つもないくらいです。

そしてついに195261日(日)に横須賀小川町教会としてペンテコステ記念礼拝をささげたので、この日を横須賀小川町教会のたんじょう日、とよぶようになったのです。
このえだは、これからもグングンのびていきます。この「こひつじ」を読んでいるあなたの心の中にまで(きっと!)。

2012/05/01

ボクシ・シュウニンシキへのごしょうたい


あたたかくなってきた、とおもっていたら、もうあつくなりはじめていますね。

はるからなつへとうつっていくこのきせつは、とてもすごしやすく、きもちがよいので、ぼくはハイキングやえんそくにいきたくなります。みなさんはいかがでしょうか。

ほんとうなら、きょうかいがっこうでもハイキングにいくはずでしたが、ことしはいけませんでした。
たのしみにしていたおともだちにはざんねんでしたね。ごめんなさい。
じつはいま、きょうかいがメチャクチャいそがしくなっているので、ハイキングにいくためのじゅんびができなかったのです。なにがそんなにいそがしいのかって? それは「ボクシ・シュウニンシキ」があるからです。

ボクシというのは、おしごとのなまえです。
きょうかいの(おとなの)れいはいで、かみさまのおことばをかたってきかせるのがやくめです。
ほかにも、けっこんしきや、しんだひとのおそうしきをしてあげたり、きょうかいのひとたちのためにおいのりをしたり、まちのひととなかよくするのがおしごとです(ステキでしょ?)。

そしてこのはる、ボクがよこすかおがわちょうきょうかいのボクシとなりました。
神さまがボクをえらび、こちらにおつかわしになったのです(スゲェ、まるでてんしじゃん!)。
そして、このことをみんなで神さまにかんしゃして、ささげるれいはいのことをシュウニンシキというのです。そこにはたくさんのおきゃくさんがあつまって、まるでけっこんしきのように、みんなが「おめでとう」というのです。だから、ぜひ、みなさんも「おめでとう」をいいにきてください。そしてボクとかわりばんこで「神さま、ありがとう」といいましょう(そのあと、きっと、おなかもふくらむ)。

ハイキングやえんそくもたのしいですが、ボクシ・シュウニンシキはもっとにぎやかで、おまつりみたいで、めったにない、とくべつな、だいスペシャルイベントです。5がつ13にち、ごご3じ、おとなもこどもも、みんなあつまれ!

2012/04/10

キミも赤ちゃんになれる!


はじめまして。
こんにちは。ボクは4月1日から、このヨコスカオガワチョウキョウカイのぼくしとなった寺田信一(てらだしんいち)といいます。45さいですから、みんなのお母さんやお父さん、おじさんやおばさんくらいの年をとっています。でも、心はいつもわかいです。どれくらいわかいか、わかりますか? 「こうこうせいくらいだ」とおもいますか? いいえ。「じゃあ中がくせいくらいだ」とおもったかな? いいえ。「それなら小がくせいくらい」とかんがえましたか? いいえ。「まさか、ようちえんのお友だち、ほいくえんのお友だちくらいなの?」っておもったでしょうか? いいえ、ぜんぶはずれです。

じつはボクは赤ちゃんです(え〜えっ!)。けれども、お母さんのオッパイをのむ赤ちゃんではありません。ボクは神さまをアッバ、アッバとよんでいる神さまの赤ちゃんです。

ふしぎなことに、神さまの赤ちゃんは、どんなに年をとっても、つまりおじいさんになっても、おばあさんになっても、いつまでも神さまの赤ちゃんでいられます。神さまが「せっきょう」という、“ことば”のオッパイをくださって、ボクの心は神さまのいのちでいっぱいになるのです(オッパイで心いっぱい、むねいっぱい)。

このオッパイをのめるのは、キョウカイにあつまったひとだけです。だから、もしもキミが赤ちゃんのころに、とってもさびしかったなら(ママのオッパイをもっとのんでいたかったなら)、キョウカイで「せっきょう」をきいてください。そうすれば、キミも神さまの赤ちゃんになれます。そしてまいしゅう日ようび、あたらしい赤ちゃんにうまれかわることができるのです。

さあ! キミも神さまのあたらしい赤ちゃんになれるっていうはなし。これはほんとうですよ。しんじますか? しんじることができるなら、キミはもう神さまのあたらしい赤ちゃんです。マ・チ・ガ・イ・ナ〜イッ! だからきょうからボクといっしょに、神さまをこうよびましょう、アッバ、アッバ、と。