2016/05/01

おおかみと七ひきのこやぎ

私は子どもたちに向けて描くとき、まず何よりテキストに忠実でいなくてはならないと思います。子どもというものはテキストに絶対の信頼をおいており、絵がテキストと異なることを許してはくれないからで」(フェリクス・ホフマン講演語録より)。


ホフマンが描いた作品は幾つもありますが、その一つがグリム童話『おおかみと七ひきのこやぎ』です。福音館書店から発行している作品(瀬田貞二訳)では、こやぎたちを食べられたおかあさんやぎが、おおかみのお腹を切り裂き、石を詰め込み、おおかみが井戸に落ちるように仕組みます。そしておぼれ死んだおおかみを見て母と子が「おおかみしんだ!おおかみしんだ!」と喜び叫び、踊り回るのです。

この痛快な筋書きにはグリムらしさが実によく表れているのですが、ホフマンはその絵によって、ストーリーを崩すことなく、言葉を越えたメッセージを宿らせています。例えば、この昔話にはおとうさんやぎが出てきません。おかあさんがたった一匹で七匹のこやぎを育てているのです。けれども、絵本の裏表紙を見ると、部屋の壁におとうさんの遺影(それも黒山羊)が額に入れて飾られているのです。そこには、このおとうさんやぎが昔、おおかみに食べられて死んでしまったというストーリーをホフマンが思い描いていたことが映し出されているのかもしれません。

そして、このように考えてみると、井戸の周りで母子が喜び踊るのは、自分たちの復讐はもちろんですが、おとうさんを食べられたことへの復讐の意味もある、ということになります。恐らく、他の絵描きによる「おおかみと七ひきのこやぎ」であれば、ここまでのことに思いを巡らせることはできなかったのではないか、と思えてくるのです。

絵描きの想像力により、読者の想像の翼が更に広げられることがあるものです。しかもテキストを変えない、という約束を守りつつ、自由なストーリーを想定した柔軟さが私にはとても好意的に受け止められるのです。