2016/12/06

クリスマスはなぜ12月25日?

クリスマスは毎年12月25日と決まっていますが、日本では休日になっていません。そのため、直前の日曜日や「国民の祝日」にクリスマスを祝うのが日本の教会の近年の通例となっています。それにしても、なぜ12月25日がクリスマスなのでしょう?主イエスがお生まれになった日が12月25日だなんて、聖書のどこにも書いてはいないのに…。

昔、ローマではミトラ教という宗教が最大規模でした。その宗教の主神である太陽神ミトラは、冬至(=太陽が最も低くなる日)に死に、その3日後に復活するとされていました。そして、この復活日が冬至祭の開催日に定められていて、それが12月25日であったのです。この日はローマ全土でミトラの復活が盛大に祝われ、ローマ最大の祭りとなっていたそうです。ところが、その後、このミトラ教が衰退し、代わりにキリスト教が広がりを見せ始めた頃、祭を楽しみにしていたローマの人々のために(趣旨はともかく)この祭日だけは受け継がれることになりました。その時の大義名分となったのが、旧約聖書のマラキ書に「わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼にはいやす力がある。あなたたちは牛舎の子牛のように躍り出て跳び回る」(3.20
)と書かれてあることでした。つまり、主イエス=キリストを「義の太陽」と見なせば、太陽神ミトラが復活したことを祝う1225日こそ、永遠の命を世にもたらした救い主キリストが人としてお生まれになった輝かしい日にピッタリだ、と考えられたわけです。驚くようなこじつけですが、これは325年の世界教会会議で決定し、その後も受け継がれていることなのです。ただし、これは現在とは違う暦が採用されていた頃の話で、クリスマスの一日は夜から始まると考えられたことから、現在の1224日の日没からクリスマスを祝い始めるようになりました。

単純に計算すれば、今年は7年に一度、日本でもクリスマスが休日(日曜日)になる日です。その前日の土曜の日没(16:30頃)から「メリー・クリスマス」と呼び交してよいのですが、23日の「こどもクリスマス」から言っちゃっても構いません。心に「義の太陽」が昇る幸いなひとなら、誰でも年中「クリスマスおめでとう」と言えるからです。

2016/11/06

役に立たなくても良い

大隅良典さんという東京工業大学の栄誉教授がノーベル医学・生理学賞を受賞されました。ノーベル賞とは、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従って1901年から始まった世界的な賞です。物理学、化学、医学・生理学、文学、平和および経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られます。大隅さんの受賞理由は、細胞が自らたんぱく質などを分解してリサイクルする「オートファジー」(自食作用)と呼ばれる仕組みを解明したこと。ただし、それは何年も前になさった研究だったそうです。ともかく、日本人がノーベル賞を授与されるのはこれで3年連続。自国びいきかも知れませんが、大したものだと感心してしまいます。


受賞後の会見をテレビでご覧になった方もあるでしょう。総理大臣や文部科学大臣からの電話で中断することもありましたが、ボクの心に残ったのは、最後の最後に女性記者の質問に対する返答でした。「私は『役に立つ』という言葉はとても社会をダメにしていると思っています。…本当に役に立つことは10年後かも20後かも知れない。そういう何か、社会が将来を見据えて、科学を1つの文化として認めてくれるような社会にならないかなということを強く願っています」。

この返答を聴き、ボクが思い出したことがいくつかあります。その内の一つは2002年にノーベル物理学賞を受けた小柴昌俊さんの言葉です。小柴さん(横須賀市立諏訪小学校出身)はご自分の研究が将来どんな役に立つのかと質問されると「まったく役に立たない」と答えたのです。あれは痛快でした。あのときに感じた心地よさを、別の切り口から大隅さんに語って頂いた気がします。

役に立つかどうか、そんなことを基準にする生き方を捨てようではありませんか。むしろ、誰からも役に立たないと思われているものに大きな価値を見出だすことのできる“心の目”を持ちましょう。ただし、そのような目は神さまが与えてくださると信じて。

2016/10/04

あなたの伴走者は誰ですか?

リオデジャネイロ・パラリンピックで初実施となった陸上女子マラソン(視覚障害)で、道下美里さんが銀メダルに輝きました。おめでとうございます。そして、ご夫君を含む「伴走者」のお二人も本当におめでとうございます。


目の不自由なランナーなどの目の代わりを務め、ガイド役として一緒に走る人を「伴走者」と言います。このひとはただ単に選手と一緒に走るだけではありません。例えば、選手と一緒にロープの輪を持って走ります。これを巧みに使いながら「緩やかな上りです」とか「足もとに凹凸があります」、30メートル先で右に90度曲がります」などと言い、コースを選手に伝えます。また、他の選手や伴走者のことも意識して、「少し右に逸れて、前の選手をよけるようにしましょう」などと提案もするのです。それも二人分の幅や高さを把握していて初めてできる助言です。水分補給所や勝負どころでは一層の配慮が必要でしょう。更には、練習中や本番を問わず、周囲の風景を伝えて、走る楽しみを共に感じたり、苦しい時には励ましの言葉を掛けたりするそうです。これらのガイド力が乏しいと、伴走者のミスのためにレースで失格になることもあるそうです。ですから伴走者には大きな力量が求められます。そして、伴走者は選手よりもいつでも早く走られる者でなければなりません。だから二人の伴走者を用意するのです。


リオの中継を見ながら、私はマラソンだけでなく、人生にもこのような伴走者が必要であることに思いをめぐらせていました。特に、先が見えない人生を突き進んでいるような人には尚のこと、伴走者が不可欠です。でも、どうぞ安心してください。あなたの伴走者を引き受けてくださっている方がおられます。それはイエスさまです。使徒パウロは、イエスさまが自分の伴走者であることを喜びながら「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです」と記しました(フィリ3.14)。何とありがたい人生レースでしょう。後はただ、イエスさまの言葉を聴き取りながら、それを信じて走ればいいのです。そうすれば、必ず勝利の栄冠を戴けることでしょう。

2016/09/08

まどみちお「消しゴム」から


童謡『ぞうさん』で知られる詩人まどみちおさんは、小学生の時、生まれ故郷の山口県から台湾に渡られました。そして22歳の時(1931年)に台北の教会で洗礼をお受けになり、キリスト者として歩み始めます。そんなまどさんが台湾総督府道路港湾課に勤めていた時、雑誌『こどものくに』に詩を投稿すると、これが北原白秋の目に留まります。その後、まどさんは日本に引き揚げ、幾つもの詩を手掛けました。「消しゴム」という作品はその中の一つです。

               * * *
「消しゴム」
自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが いそいそと けす
そして けすたびにけっきょく
自分がちびていって きえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて

               * * *

まどさんの詩「消しゴム」を読みながら、ある人は「自分も誰かの役に立つ人生を送ろう」と考えます。そういう受け止め方もあるでしょう。けれども、ボクはこの詩を読んで、それとは少し違う受け止め方をしました。それは、まどさん自身は、こんな消しゴムになることは自分にはできないと考えていたのではないか、そして、自分にとってイエス=キリストこそ、この消しゴムのような方であったと受け止めていたのではないか、そう思えるのです。

人生に間違いはつきものです。特に、聖なる神さまに対して、ひとは誰でも罪人です。しかしイエス=キリストは、ご自身の命を犠牲になさって、ボクたちの書き違え、ウソ、汚れを洗い落とし、ボクたちを聖めてくださいました。ボクには、まどさんがそのことを「消しゴム」によって伝えていらっしゃるように読めるのです。

皆さんはどう読みますか?そもそも、こんな消しゴムのような人間になれますか?なれないとしたら、あなたの消しゴムになってくれる方が必要なのではありませんか

2016/08/01

詩編第何篇、て言う


聖書の中で一番分量が多い文書は何でしょう?正解は「詩編」です。全部で150篇あります―


と、冒頭に記したこの一文をお読みになって「あれ?」と思われた方があるかも知れません。そうです、実は詩編だけ、聖書全66巻の中で唯一、第何「章」とは言わず、第何「篇」と言うのです。


大昔、まだ紙が発明されていなかった頃、中国では「木簡」という記録媒体で文書を残していました。これは表面を平たく削った木や竹の札に文字を書き、その一部分に穴を空け、紐を通して束ね、ひとくくりにして保管していたものです。


そして、実はこの“たけかんむり”の「篇」は、その木簡一枚を表す形声文字でした。また、紐を通して束ねた一種の書物を表すのが“いとへん”の「編」なのです。パソコンに譬えると「篇」はファイル、「編」はフォルダ、と言ったところ。そして、詩編は聖書の他の文書とは違い、元は古代イスラエルの讃美歌集だったので、その一曲一曲(一詩一詩?)に振られた通し番号を「篇」の字で表記するようになったのでした。



しかし、ややこしいことには、日本で使われる漢字には、国が定める「常用漢字」というものがあって、新聞などではより多くの読者にその内容を理解してもらうために、人名や地名など特殊な場合を除いて常用漢字以外は使わないことになっています。そのため、この「篇」の字が常用漢字から外れていることもあって、意味も近くて読みが同じ「編」の字を代わりに使用している場合があるのです。たとえば、パウロがアンティオキアの信徒たちに説教した時、詩編第2篇を引用するくだりがありますが、そこは「詩編の第二編」という表記になっていま(使13.33)。『聖書新共同訳』が編集された際、上述の「常用漢字」を意識していたことが伺えます。ただし、実物は木簡ではなく、羊の皮であったろうと思われます。

2016/07/03

マタイ(マシュー)の男前な一言


皆さんは、『赤毛のアン』の登場人物が語るセリフの中で、どれがもっともお気に入りですか。

名セリフ満載の物語なので、意見がわかれそうですが、私のお気に入りは、物語の初めの方、第3章に出てくるマシューのシブイ一言です。

グリーン・ゲイブルズ
緑の切妻壁の家に、独身のまま二人で暮らし、いまや年老いてしまったマシューとマリラの兄妹は、農作業を手伝わせるために孤児院から男の子をもらい受けようとします。しかし、仲介役のスペンサー夫人の手違いで、やってきたのは「かなり濃いまっ赤な髪」の「やせていて、そばかすだらけ」の女の子でした。女の子では農作業の手伝いにはならず、かわいそうですが孤児院に送り返すしかありません。実際、マリラはそうするつもりでした。でも、マシューがそうしたくなさそうなことに気づいて、マリラは決心を促すかのようにこう問いかけます。「あの子がなんの役にたつというんです?」ところが、マシューがおずおずと口にしたのは思いもかけない一言でした。「わしらが、あの子の役にたつかもしれんよ」。いやー、シビレますね。一度は言ってみたい、なんとも男前なセリフです。


マシューは、自分たちの思いを越えた出来事に、なんらかのメッセージを感じ取ったのでしょう。だから、「アンが自分たちになにをしてくれるのか」から、「自分たちがアンになにをしてあげられるのか」へと考え方を転換させたのだと思います。そして、このような考え方の転換が、やがて変わり映えのしない退屈なものだったマシューとマリラの生活を、さらにはプリンス・エドワード島の人々の生活を大きく変えていくことになります。想像力に溢れ、喜びの目をもって世界をつねに新鮮なものとして見ることのできるアンの存在が、人々を触発し、人々の中に眠っていた若々しい気持ちや愛情を思い出させていくのです。


物語の終盤、成長したアンをクイーン学院に送り出すことになったマシューは誇らしげにこうつぶやきます。「あの子がいてくれて、わしらはしあわせだった。あのスペンサーのおくさんがしなすったまちがいほど、運がよかったものはなかったんだ――あれが運だとするなら。いや、そんなもんじゃない。あれは天のおみちびきだ。神さまは、わしらにはアンがいなくちゃならんことをご存じだったんだ」。

信仰を与えられるとは、「自分中心」から「神中心」へ置き換わることだとよく言われます。それは、神様の僕となることですから、確かに従属的ではあり、一見したところ消極的な生き方に見えなくもありません。でも、それは正しい見方ではないと思います。マシューが示してくれているのは、自分の思いではなく神様の導きに従って生きることが、狭い自分の殻を破るチャレンジングで積極的な生き方でもあるということなのです。

2016/06/01

徳川家康に見るリーダー像


政治家の「秘書がやった」、社長の「部下がやった」というコメントをよく聞きます。まだ真相が明らかにされていない場合、上に立つ本人が責任逃れをしているようにしか思えないケースも多々あり、極めて残念です。

ところで、上に立つひとと言えば、大河ドラマ『真田丸』にも登場して来る徳川家康。今年6月1日はちょうど家康の没後400周年の記念日だったそうですが、この家康には「三河武士団」と呼ばれる優れた家臣たちがありました。ある日、家康の故郷三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)に洪水が発生した時、川に架かっていた橋が流されてしまいます。家康はすぐに新しい橋を架けるよう三河武士団に命じました。ところが武士団は反対します。それは「橋を架けずにおけば、その時点で虎視眈眈と領地を狙う敵の兵を防ぐことができる。これは天の助けである」という理由でした。

家臣たちの真剣な意見に家康は喜んで耳を傾けていましたが、その上でこのように答えます、「いいや、住民のために橋は必要なものだ。何としても造らなければならない。だが心配には及ばない。他国の兵を防ぐために、私が川を頼る必要はない。なぜなら、お前たちを頼ればいいからだ」と。これを聴いて武士団らは感動。早々に橋を架けたということです。


その人の心がどこにあるか、何に向かって身を委ねているのか、それが分かれば、そのひとがどんな器であるのかが良く分かります。「器物(きぶつ)は何ほどの名物にても、肝要の時に用(よう)に立たず。宝の中の宝といふは人にて留(とど)めたり」(意:器物は所詮道具に過ぎない。最高の宝物はなんといっても人材である)と語った家康のリーダーとしての器の大きさに頭がさがります。


さて、まもなく国会議員の選挙ですが、国民はどんなリーダーたちを選出するのでしょう。私も選挙権を持つ一人ですが、その結果が楽しみです。もちろん、部下たちを信頼し、その身を委ねられるひとにこそ、リーダーになってほしいです。少なくとも、部下に責任転嫁をするひとにだけは、リーダーになってほしくありません。それは何も、国会議員だけの話でもありません。

2016/05/01

おおかみと七ひきのこやぎ

私は子どもたちに向けて描くとき、まず何よりテキストに忠実でいなくてはならないと思います。子どもというものはテキストに絶対の信頼をおいており、絵がテキストと異なることを許してはくれないからで」(フェリクス・ホフマン講演語録より)。


ホフマンが描いた作品は幾つもありますが、その一つがグリム童話『おおかみと七ひきのこやぎ』です。福音館書店から発行している作品(瀬田貞二訳)では、こやぎたちを食べられたおかあさんやぎが、おおかみのお腹を切り裂き、石を詰め込み、おおかみが井戸に落ちるように仕組みます。そしておぼれ死んだおおかみを見て母と子が「おおかみしんだ!おおかみしんだ!」と喜び叫び、踊り回るのです。

この痛快な筋書きにはグリムらしさが実によく表れているのですが、ホフマンはその絵によって、ストーリーを崩すことなく、言葉を越えたメッセージを宿らせています。例えば、この昔話にはおとうさんやぎが出てきません。おかあさんがたった一匹で七匹のこやぎを育てているのです。けれども、絵本の裏表紙を見ると、部屋の壁におとうさんの遺影(それも黒山羊)が額に入れて飾られているのです。そこには、このおとうさんやぎが昔、おおかみに食べられて死んでしまったというストーリーをホフマンが思い描いていたことが映し出されているのかもしれません。

そして、このように考えてみると、井戸の周りで母子が喜び踊るのは、自分たちの復讐はもちろんですが、おとうさんを食べられたことへの復讐の意味もある、ということになります。恐らく、他の絵描きによる「おおかみと七ひきのこやぎ」であれば、ここまでのことに思いを巡らせることはできなかったのではないか、と思えてくるのです。

絵描きの想像力により、読者の想像の翼が更に広げられることがあるものです。しかもテキストを変えない、という約束を守りつつ、自由なストーリーを想定した柔軟さが私にはとても好意的に受け止められるのです。

2016/04/04

メンデルの法則



今から三十年前(1986年)、私は農業系の短大で学ぶべく、上京しました。それは卒業して青年海外協力隊員になるためでしたが、受験勉強中、最も好きになった科目は「生物」で、特に遺伝の分野には不思議と興味関心が向いていました。その机上で知った人物にヨハン・メンデルという人がいます。

メンデルは1822720日、当時のオーストリア帝国の小作農家に生まれました。幼い頃から勉学は優秀で、オルミュッツ大学で学びます。すると教授の一人から「さらに科学を学び続けるために修道僧になるように」と勧められました。それは、当時の修道院が人文・自然科学・医学などの学術研究の担い手であったからです。そこでメンデルは、生まれ育ったブリュンにある聖トマス修道院に入会し、修道士として植物研究に取り組み始めます(ちなみに、この修道院では良質の羊毛や良質のワインを生産するために品種改良の研究が盛んに行われていました)。そしてここで、メンデルは、エンドウマメの交配で孫の代までどうなるかを調べることになるのです。

メンデルは修道院長にもなりましたが、有名な「メンデルの法則」などの遺伝学に関する業績は当時はまったく知られることがなく、研究した様々な自然科学の分野の中では寧ろ気象学の業績の方が良く知られていたようです。 

188416日、メンデルはオーストリア帝国のブリュン(現・チェコ)で亡くなりました。「現代遺伝学の父」という称号がメンデルに与えられたのは、その更に後のこと。しかし、その業績は今、日本の高校生たちにも学ばれていることです。
 
子どもが親に似るのはとても不思議なことですが、その仕組みは大変興味深いものがあります。ここから現在のDNA研究、分子生物学や遺伝子工学の大元となった遺伝子という概念に結び付くのです。その配列は果たして偶然の産物なのでしょうか? 私はそうは思いません。これこそ、宇宙万物を創造された神の大いなるお取り計らいである、と信じてやみません。メンデルと共に。
時代も国も教派もこえて。