2020/06/01

フレデリック

レオ=レオニ(Leo Lionni1910.5.51999.10.11)の作品に『フレデリック』という絵本があります(好学社)。筆者が子どもの頃からありましたから(邦訳1969年発行)、今は何刷にも上っていることでしょう。その副題に「ちょっと かわった のねずみの はなし」と掲げられている通り、主人公は野ネズミのフレデリックです。

フレデリックは仲間のおしゃべりな4匹の野ネズミと共に、とある農家の庭先の石垣の中に住んでいました。けれどもある日、農家の家族が引っ越してしまい、納屋は傾き、サイロは空っぽになります。おまけに冬も近いので、野ネズミたちは昼夜を問わず、トウモロコシや木の実、小麦、藁を集め始めました。越冬の準備です。ところが、フレデリックはその横でじっとしているままでした。仲間の野ネズミたちが不思議に思い、フレデリックに尋ねます、「どうして きみは はたらかないの?」と。するとフレデリックは答えました、「こう みえたって,はたらいてるよ。さむくて くらい ふゆの ひの ために,ぼくは おひさまの ひかりを あつめてるんだ」と。


そしてまた、フレデリックが座り込んで牧場をじっと見つめていると、みんながまた聞きました、「こんどは なに してるんだい,フレデリック?」と。フレデリックはあっさり答えます、「いろを あつめてるのさ。ふゆは はいいろだからね」と。

またある日、フレデリックは半分眠っているようでした。するとみんなは少し腹を立てて尋ねました、「ゆめでも みてるのかい,フレデリック」と。「ちがうよ,ぼくは ことばを あつめてるんだ。ふゆは ながいから,はなしの たねも つきて しまうもの」。

そして冬が来て雪が降り、5匹の野ネズミたちの越冬が始まります。初めのうちは食べ物もたくさんあり、みんな楽しくおしゃべりもしていました。しかし、少しずつ木の実や草の実は減って行き、藁もトウモロコシも底を突きます。野ネズミたちはぬくぬくと過ごしていた頃を懐かしがりますが、もうおしゃべりをする気にもなれません。しかしその時、みんなは思い出したのです、自分たちとは別の働き方をしていたフレデリックが言っていたことを。そこで尋ねました、「きみが あつめた ものは,いったい どう なったんだい,フレデリック」と。するとフレデリックはみんなに目をつむらせ、太陽の話を聴かせてあげました。光を思い起こさせるためです。次にアサガオや麦、ケシ、野いちごの葉っぱのことを話し出しました。みんなの心の中にいろいろな色を思い描かせるためです。そして最後には(俳優になりきって!)3月の雪解け、6月に咲き誇るクローバー、夕暮れや月の美しさを思い出させ、あたかもそれらが4匹の野ネズミたちによって営まれたかのように語り聞かせてあげました。そのようにして、四季の素晴らしさを教えつつ、冬にも意味があることや、自分たちが一人も欠けることなく、共にいられる幸いを優しく伝えてあげたのです。

フレデリックが話し終わるとみんなは拍手喝采。「おどろいたなあ,フレデリック。きみって しじんじゃ ないか!」。フレデリックはお辞儀をしながら「そう いう わけさ」と挨拶し、この絵本は終わります。その時のフレデリックはとても恥ずかしそうでいて、誇らし気でもありました。

確かに、フレデリックは光、色彩、言葉を吸収し、それを見事に語り聞かせて、冬ごもりをする仲間を励ましました。けれどもそれは、みんなとは違う働き方で冬ごもりの準備をしていた詩人だからできたことでした。

子どもたちは今、コロナ籠り(?)を強いられています。しかし、この小さな詩人の姿から勇気を与えられるように思います。もしかすると、人生いかに生きるべきか、という問いに答えを出せる子があるかも知れません。いや、そういう期待は棄てて、ぜひとも膝の上に子どもを座らせ、読み聞かせてやってください。誤解を恐れぬ詩人フレデリックの崇高な信念と尊い働きと強かな友情とを!