2016/09/08

まどみちお「消しゴム」から


童謡『ぞうさん』で知られる詩人まどみちおさんは、小学生の時、生まれ故郷の山口県から台湾に渡られました。そして22歳の時(1931年)に台北の教会で洗礼をお受けになり、キリスト者として歩み始めます。そんなまどさんが台湾総督府道路港湾課に勤めていた時、雑誌『こどものくに』に詩を投稿すると、これが北原白秋の目に留まります。その後、まどさんは日本に引き揚げ、幾つもの詩を手掛けました。「消しゴム」という作品はその中の一つです。

               * * *
「消しゴム」
自分が 書きちがえたのでもないが いそいそと けす
自分が書いた ウソでもないが いそいそと けす
自分がよごした よごれでもないが いそいそと けす
そして けすたびにけっきょく
自分がちびていって きえて なくなってしまう
いそいそと いそいそと
正しいと 思ったことだけを
ほんとうと 思ったことだけを
美しいと 思ったことだけを
自分のかわりのように のこしておいて

               * * *

まどさんの詩「消しゴム」を読みながら、ある人は「自分も誰かの役に立つ人生を送ろう」と考えます。そういう受け止め方もあるでしょう。けれども、ボクはこの詩を読んで、それとは少し違う受け止め方をしました。それは、まどさん自身は、こんな消しゴムになることは自分にはできないと考えていたのではないか、そして、自分にとってイエス=キリストこそ、この消しゴムのような方であったと受け止めていたのではないか、そう思えるのです。

人生に間違いはつきものです。特に、聖なる神さまに対して、ひとは誰でも罪人です。しかしイエス=キリストは、ご自身の命を犠牲になさって、ボクたちの書き違え、ウソ、汚れを洗い落とし、ボクたちを聖めてくださいました。ボクには、まどさんがそのことを「消しゴム」によって伝えていらっしゃるように読めるのです。

皆さんはどう読みますか?そもそも、こんな消しゴムのような人間になれますか?なれないとしたら、あなたの消しゴムになってくれる方が必要なのではありませんか