2014/07/16

ごきげんならいおん

2回にわたって『赤毛のアン』の訳者村岡花子さんが翻訳した絵本を紹介して来ました。今回はその最終回、三冊目です。

絵本『ごきげんならいおん』の舞台はフランスです。ある街の動物園に、いつもごきげんならいおんがいました。動物園は公園になっていて、行き来が自由にできました。そのため、飼育係とその息子を筆頭に、誰もが毎日らいおんに挨拶をしてくれます。お肉やいろいろなごちそうをくれもします。それでらいおんはいつもごきげんだったのです。

けれどもある朝、飼育係がらいおんの家の戸を閉め忘れてしまいました。そこでらいおんは、いつものお礼を伝えに出かけよう、と考えて、街の人々に挨拶をしに行くのです。すると街の人は大さわぎ(当然ですね)。例えば、動物園にいたときはニコニコしていたおばさんも、恐がって野菜の入ったカゴをらいおんに投げ付けました。それでも、ごきげんならいおんはゆったりと、街の人々を観察さえするのでした。そして「このまちのひとは みんな ばかなんだな」と理解するのです。消防車がかけつけ、隊員がライフルを構えても、らいおんは自分が置かれた状況を理解できずにおりました。

しかし、らいおん絶体絶命のその時、仲良しの飼育係の息子がやって来て、「やあ」と声をかけたのです。らいおんは、いつものように自分から話し掛けて来てくれる友を見つけてとてもごきげん。消防士たちを見物することも忘れ、男の子と一緒に動物園へ悠然と歩いて帰っていきました。

このらいおんの優雅さと、恐怖で騒ぎ立つ街の人々との対照的な姿が実に滑稽なのですが、もしも飼育係の息子が声をかけてくれていなかったら、らいおんはどうなっていたことか。らいおんだけではありません。わたしの命を救える方が、自分から近づき、歩み寄り、共に歩んでくださった、それゆえに、私どももまた今日あるを得ているのです。それがイエス=キリスト。わたしの、そして私どもの永遠の友なのです。