2017/02/03

この世界の片隅に

標記のタイトルは日本のアニメ映画の題名です。先月、私の五十歳の誕生日に夫婦で鑑賞してきました。宮崎アニメの『火垂るの墓』と同じ「原爆反戦もの」でしたが、従来には無いメッセージが込められているように思いました。例えば、舞台となった広島県呉市を描いた風景画が実に柔らかいタッチでほのぼのとしているのです。何より主人公の“すず”の実にのんびりとした生き方、テンポには、誰もが「かわいい」、「おもしろい」と思うに違いありません。

しかし、物語の内容は、話が進むに連れて深刻さを増していきます。上映が始まるや否や「いそぎ来たれ、主にある民」(『讃美歌21259番)のメロディーが聴こえてきますが、それはまだ讃美歌が歌えた時代であったことを示しています。その数年後にキリスト教は敵性宗教と見なされ、映画の中でも軍歌しか聞こえないようになって行きます。そして「昭和二十年」になると「○月○日」という日付だけが折々に掲げられるのですが、それが(すずの実家がある)広島市に原爆が投下された8月6日に向かってのカウントダウンであることを、観客は胸が締め付けられる思いで見させられるのです。そして原爆投下。長崎にも新型爆弾が落とされたと伝えられ、程なく玉音放送を聴くシーンになります。すると、今までおとなしかったすずが、聴き終わってついに吐き捨てるように言いました、「飛び去ってゆく。ウチらのこれまでが。それでいいと思って来たものが。だから、がまんしようと思って来た、その理由が」と。

すずは「日本は勝つ」と思い込み、「そのために皆が協力すれば、自分たちは絶対に報われる」と信じて疑いませんでした。そう思っていたからこそ、苦労を苦労とも思わず、悲しみを「悲しい」と思うことすら無かったのです。ところが、その全てが根底から覆された時、すずは不発弾の破裂で失った右腕を抱えながら突っ伏して嘆くしかなかったのでした。そしてこのように言うのです、「じゃけえ、暴力にも屈せんとならんのかね?ああ、何も考えん、ぼうっとしたウチのまま、死にたかったなぁ」と。この言葉は原作にはないそうですが、原作を損ねるどころか、見事に補完している言葉である、と言えるでしょう。

名も無き多くの戦争犠牲者たちがいます。そのほとんどが恐らく、一瞬にして死んだのです。そんな不条理な現実を、この作品は真正面から突き付けていました。いったい、どれほどの安らぎを、豊かさを、喜びを、そしてのんびりと過ごせる筈の日常を、戦争は何と残酷に奪い取っていくものか。『世界の片隅に』は強烈に、その悲惨さを教えてくれる骨太の映画です。