2019/12/01

人生最期の5分間

今から170年も前のこと。12月のある日、ロシアの犯罪者収容所に28歳になる青年フョードルがいました。彼は反体制の小説を手掛ける思想犯として死刑判決を受けていたのです。ある日、その死刑執行の直前に執行官がこう言いました、「最期だ。お前に時間をくれてやる。ただし5分だ!」と。遂にこの世と訣別する瞬間が来た、フョードルはそう悟ります。そして「ああ、私は5分後にこの世から消え去るのか。そんな短時間でいったい何ができるだろう」と悩み、家族と知人たちへの別れの挨拶が混在する祈りをささげるのでした。

ところが、執行官は無情にも大きな声で「2分経過!」と叫びます。フョードルはその日まで生かしてくださった神に感謝しつつ、他の死刑囚たちへの別れの挨拶をも祈りの中に込めました。「残り1分!」、執行官の大声があたりに響き渡ります。フョードルは思いました、「ああ、もう一度人生をやり直すことができたなら! そうだ、オレは生きたい! 生きたいのだ! もう少し、あと少しだけでも生き長らえたい! どうか神さま、この私を救ってください!」と。

フョードルは後悔の涙と共に神に嘆願します。しかし「死刑準備開始!」「ガチャッ」。銃に弾丸を装填する音が彼の耳をつんざきます。絶体絶命のフョードル! するとその時、政府の使者が大声を張り上げて処刑場に駆け寄って来たのです。その声にフョードルは耳を疑いつつも歓喜しました。「やめろ、やめろ! その死刑は中止だ!」。


皇帝ニコライ1世の特赦によりフョードルは銃殺の直前で死刑を免れ、4年間のシベリア流刑に減刑されたのです。そして極寒の地で過酷な強制労働を担うことになりました。


しかし、フョードルは神に与えられた時間の重要性を悟り、「人生は最期の5分の連続だ」とばかりに創作活動に没頭します。そして流刑を終え、さらに4年間の兵役も終えた後、1881年に世を去るまで神を信じ、キリスト教的人道主義の視点から数々の不朽の名作を書き残すことになりました。彼の本名はフョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー。言わずと知れたロシアの文豪です。


人生最期の5分間、あなたならどのように過ごしますか? また、何をどなたに祈りますか?

2019/11/02

今年から日曜日に

タイトルをご覧になって「なんのことかな?」と思われた方があるかもしれません。これは毎年恒例で行なっている「こどもクリスマス」のことです。

国民の祝日に関する法律」によって天皇誕生日は去年まで12月23日に定められていました。その日は毎年休日であり、クリスマス直前でもあることから、教会ではその日に「こどもクリスマス」を行なっていたのです。ところが、先の法律が2017(平成29)年6月16日に改定され、今年度に入ってから天皇誕生日は2月23日に移ってしまいました。そのため、12月には日曜日以外の休日が無くなってしまったので、こどもクリスマスは今年から日曜日に行なうことにしたのです。


けれども、良く考えてみると、いわゆる平成時代になる前の昭和時代、天皇誕生日は4月29日でした。つまり、昭和時代も12月には週日中の休日は無かったのです。私などは小学生の頃から、家の壁に貼られていた(二十四節気入りの)カレンダーを眺めつつ、常々「どうして春分・秋分の日はあるのに、夏至・冬至の日は無いのだろう?」と不思議に思っていたものです。


しかし、クリスマスを祝う心は、その日が欧米のように休日でなくても、決して萎えるものではない筈です。寧ろいつであっても、例えばそれが何曜日であったとしても、救い主の降誕を喜ぶ喜びは変わることがありません。それこそ、二千年前のベツレヘムでイエスさまを迎えたマリア、ヨセフ夫婦も、虐げられて家畜小屋に寝泊まりし、生まれたばかりの我が子(イエスさま)をエサ箱(飼い葉桶)に寝かせなければならない貧しさの中にありましたが、救い主誕生の喜びがその貧しさに優って大きかったのです。救い主が苦しみや寂しさの中にある人々のためにこそお生まれになることを知っていたからです。


教会は何月何日何曜日であれ、心からクリスマスを祝います。聖書にはそれが12月25日であったとは書かれていませんが、神の子が私たちと同じ人間になられた事実は不変です。この国、この世界は、人間を神にしようとする力が強いように見えますが、クリスマスは神の子が人の子になったことを喜ぶ神の民の「祝日」なのです。

2019/07/02

33個めの石

2007年にアメリカで起きたバージニア工科大学銃乱射事件を覚えていますか。アメリカでは、たびたび銃乱射事件が発生していますから、どれがどれだか区別がつかないかもしれません。この事件では、30人以上の学生・教員が殺され、犯人の学生も自殺しました。犯人は、動機を述べたビデオと自分の写真をテレビ局に送りつけていたため、その映像は、世界中で流されました。なので、記憶になくても、多くの方が目にされたはずです。

哲学者の森岡正博は、『33個めの石』というエッセイの中で、事件後に起きた次のような印象深い出来事について記しています。「バージニア工科大学事件の次の週に、被害者の追悼集会がキャンパス内で行われた。キャンパスには、死亡した学生の数と同じ33個の石が置かれ、花が添えられた。実は、犯人によって殺されたのは32人である。『33個めの石』は、事件直後に自殺した犯人のために置かれたのである」。実際には、石を置く人がいれば取り去る人もいるといったせめぎ合いもあったようなので、集会の参加者たちの思いが一つであったとは言えませんが、重い問いかけを持った石であることは間違いありません。


ところで、イエス様の弟子の中でもっとも有名なのは、誰でしょうか。ペトロでもパウロでもなく、ユダではないかと思います。キリスト者でない人たちの間でも、ユダは、裏切り者の代名詞になっていますし、キリスト者にとっても、銀貨三十枚でイエス様を裏切り、最後は自殺したわけですから、これ以上はない罪人ということになるでしょう。では、そんなユダにも「赦し」があるのか。神学者の間でも、答えは様々です。

アウグスティヌスが与えているのは、とても厳しい答えです。ユダは、神の憐みに絶望して後悔したかもしれないが、それは救われるための悔い改めではなかった。それどころか、ユダは、自殺することで、神から与えられた命を絶つという罪を増し加えてしまった、と言うのです。

これに対して、カール・バルトは、人間の罪が増し加わるところにこそ、神の恵みも増し加わるとして、正反対の答えを与えています。神様は、棄てられた人間こそが福音を聞き、また選びの約束を聞くようになることを望んでおられる。神様は、ユダにもこの福音が宣べ伝えられることを欲しておられるのだ、とバルトは言います。

私は、バルトの答えに共感を覚えます。それは、とても利己的で臆病な理由によるものです。私の心の中にもユダが棲んでいるのでないか、もしそうなら、ユダが赦されないと私も赦されないのではないかと懼れるからなのです。イエス様は、ユダのためにも石を置いてくださる。そしてその小さな石は、私のための希望の石でもあるように思うのです。

2019/05/01

しごとをとりかえただんなさん

ノルウェーの昔話『しごとをとりかえただんなさん』をご存じですか?若い夫婦が小さな家につつがなく暮らしていました。だんなさんは畑仕事、おかみさんは家事をこなしていました。ある日、畑から戻っただんなさんがおかみさんに「お前はずいぶん楽をしている。俺はあくせく働いているのに」とこぼします。するとおかみさんは陽気にこう答えました、「それなら明日から仕事を取り替えましょう」と。次の日の朝、おかみさんはレーキを担ぎ、だんなさんはほうきを手に取り、それぞれの仕事に分かれて行きました。

だんなさんは鼻歌まじりで家の掃除を始めます。そして夕飯にパンケーキを焼こうと卵を集めに行きました。けれども、生みたての卵を両手に持って戻って来ると、立てかけていたほうきにつまずき、落とした卵は全て割れ、おまけに鼻も潰します。だんなさんは、それならオートミールを作ろうとミルクと麦をボウルに入れてかき混ぜます。が、すぐに暑くなったので、冷えたリンゴ酒を求めて地下室に降り、一口飲もうとしたところ、上の階から大きな物音。慌てて戻るとボウルが割れ、ネコがミルクを舐めていました。怒っただんなさんはネコを追い払い、最初からもう一度、オートミールを作り直します。が、リンゴ酒入りの樽の栓をし忘れていたことを思い出し、地下室に戻ると案の上、全て流れ落ちていました。もはや絶望寸前のだんなさんが、牛に朝のエサをやるのを思い出したのは既に昼過ぎ。牧場に連れて行っている時間はありません。そこでひらめき、小屋の屋根の上に芽吹いている雑草を牛に食べさせることにします。板切れで橋をかけ、屋根の上にようやく牛を連れて上がっただんなさんは、万一に備え、煙突伝いで牛と自分とをロープでつなげて家事を再開。部屋を掃除し始めますが、床に流れたオートミールでほうきはグチョグチョ。そこへ調理中のオートミール第二弾の鍋が吹きこぼれたので急いでかまどの火を消して点け直そうとしたところ、屋根の上から牛が落ち、ロープで結ばれていただんなさんは哀れにも吊り上げられて、煙突の中にキッチリはまってしまいました!


…福音館版はここまでなのですが、童話館版には続きがあります。帰宅したおかみさんがだんなさんを見て笑い、だんなさんが「もう決して、お前の仕事より俺の仕事のほうがたいへんだなんて言いやしないよ!」と言うのです。そして翌朝、それぞれは元の仕事に戻るのですが、その場面を描いた絵は、だんなさんとおかみさんとが微笑み合っているのです(お互いに敬意を込めて)。しかも、それからは時々相手を手伝うようになった、とも語られておりました。


自分が辛い目に遭っている、損をしていると考えると、大切なひとをさえ妬ましく思うのが人間です(創4.)。でも、その傲慢さに気付いたら、実は赦され、愛されている自分であることを知り、生まれ変わることもできるのです。私はこちらのオチが大好きです。なぜなら、これこそ、神によって救われた人間の新しさ、聖書の福音であるからです。

2019/01/03

それがもう奇蹟

10年ほど前、トルコを旅したことがあります。カッパドキアやパムッカレといった定番の観光スポットの奇景も確かに印象深いものでしたが、それ以上に深く記憶に焼きついているのは、内陸部をバスで横断したときの荒涼たる山々の光景でした。山という山が、木のほとんど生えていないハゲ山で、生命感が皆無なのです。日本では、山と言えば、総じて緑豊かで、そこを住処とする獣や鳥や昆虫の生命が横溢しているというのが常識ですから、まさに真逆です。

トルコは、使徒パウロの伝道旅行の中心的な舞台ですが、聖書の中心的な舞台であるイスラエルの山々はどうなのでしょうか。私は残念ながら、まだイスラエルに行ったことはないのですが、トルコの山々と同様であるようです。『荒れ野に立つイエス』という本の中で、前島誠さんは、「詩編」第121篇の「わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。」という句を引き、こう解説しています。「ここで詩人が見たものは、いったいどんな山だったのか。それはゴツゴツした岩山、その前に立つだけで希望が萎えてしまう、まるで生命を拒否するかのように、厳然と立ちはだかる山だった」。このような厳しい風土は、生命があることは決して当たり前のことではなく、それ自体がひとつの奇蹟なのだという洞察を育むように思うのです。これは、生命が溢れていることが当たり前の風土に生きる日本人には、なかなか理解しづらいことなのかもしれません。


聖書は、「創世記」の冒頭で、はっきりと生命を含めた神による世界創造を語っています。神がそう意志されたからこそ、この世界はあり、私たちには生命が与えられたと言うのです。そして、神は、自らの創造の業を見て、こう言われました、「それは極めて良かった」。ここに示されているのは、存在の大いなる肯定です。私たちが存在しているとは、私たちの存在
が神によって肯定されているということです。私たちが存在しているなら、そうさせてくださった神が私たちを憎んでいるということはありえません。だから、神によって肯定されているとは、神から愛されているということなのです。

私たちの人生が、生命という最初の贈り物から始まったとすれば、贈り主への感謝の歌を歌うことは、私たち人間の大切な仕事のひとつということになるでしょう。そう言えば、スピッツの草野マサムネさんも、佳曲『群青』の中でこう歌っていました。「僕はここにいる、すでにもう奇蹟、花が咲いているよ。僕はここにいる、それだけで奇蹟、しぶきを感じている」。超自然的な現象だけが奇蹟ではありません。本当なら私はいなかったかもしれないのに、神の不思議なはからいで「僕はここにいる」。それがもう奇蹟なのです。