2014/01/13

“ 十  戒 ”

昨年の4月から、教会学校の礼拝で十戒を唱和するようになりました。もうすっかり覚えてしまった方もあると思います。

「十戒」と訳された言葉は、元は“デカローグ”と言い、デカ(10)とロゴス(言葉)との合成語です。ですから「十の戒め」と言うよりも、本当は「十の言葉」と呼ばれるべきものなのです。

そのことを裏付ける一つの興味深い特徴は、十戒の元の言葉(ヘブライ語)の文体にあります。実は、それらは皆、日本語で訳出されているような「〜してはならない」という禁止や「〜せよ」という命令の言葉ではありません。「断言法」という文体に分類される珍しい文体なのです。例えば、1階集会室に掲げられている出エジプト記第20章3節の言葉を、その特徴を活かして直訳すると「あなたには、私の顔の上に、他の神々はあり得ない」となります。

何という言葉でしょうか。神さまが私たちを信頼なさっていなければ、こんな断言はできません。言い換えれば、神さまは私たちをまったく疑っておられない、ということなのです。そして、ここに明らかなように、愛とは本来、裏切りを予想しないのです。しかし、私たちが“愛”と呼んでいる愛情は、どれほど裏切りや疑いに満ちていることか。絶えない愛を受けていながら、いかに多くの他の「カミサマ」と呼ばれる類いに心が靡いていることか。それにも拘らず、神の愛は絶えないのです。そこに十字架が立ちました。

十戒は、この神の愛が全世界に、そしてこの私に注がれていることを明らかにする言葉です。寔に有り難い言葉です。さあ、愛誦しましょう!