2021/02/01

イエス様のメタメッセージ

コミュニケーション理論が与えてくれる知見の一つに「メタメッセージ」というものがあります。「メタ」というのは、「超」とか「一段階上」という意味なので、メタメッセージとは、メッセージの解読の仕方を示す一段階上のメッセージということです。私たちの発するメッセージには、それをどう解読するかを示すメタメッセージ——たいていは非言語的な——がつねに伴っているというのです。

なんだかややこしそうな話ですが、実は私たちが日常のコミュニケーションの中で、ごく普通に行っていることです。たとえば、「バカ」というメッセージのもつ意味は、いがみ合っている相手からの睨みつけるような視線というメタメッセージと共に送られた場合と、恋人からのコケットリーな目くばせというメタメッセージと共に送られた場合とでは、まったく正反対の解読結果になることは明らかでしょう。

では、このメタメッセージという知見を使うと、人の心に届く言葉と届かない言葉の違いは、どこにあると考えられるでしょうか。

今ではパワハラ認定されかねないので、あまり見かけなくなりましたが、少し前までは、勤務時間後に、居酒屋で、上司が部下に対して説教をしている場面をよく目にしました。こうした場面で語られる言葉は、届かない言葉の代表例でしょう。語られる内容にそれなりの妥当性があっても、どれほど熱く語っても、その言葉は部下の心には届きません。なぜなら、相手に対する敬意を欠いた上から目線というメタメッセージと共に語られたそれらの言葉は、単に自分が上位者であることを誇示し、マウントを取るためだけの言葉として解読されるからです。

柔和なイメージの強いイエス様も、ときに弟子に対してまことに厳しい叱責をされることがありました。ペトロは、イエス様から「サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている」とまで言われています。一見、上司の説教より強烈な罵倒の言葉です。しかし、その言葉には、「私はあなたを愛している。だから、私があなたを変えてみせる」というメタメッセージが伴っていました。それゆえ、たとえ一時、誤解されることがあっても、イエス様の言葉は、間違いなく弟子たちの心に届き、彼らを変えていったのです。

イエス様のお語りになる言葉は、ときに難解です。簡単には理解できないものも少なくありません。しかし、その言葉には、つねに「この言葉は大切なあなたへのメッセージなのだ。だから、私は、愛するあなたに何としてもこの言葉を届けるのだ」というメタメッセージが伴っています。それゆえ、たとえ今はそれが理解できなくとも、このメッセージが理解できる私へと成長したいという思いへと私たちは導かれるのです。

イエス様の発されるすべてのメッセージの背後には、一つの例外もなく、「私はあなたを愛している」というイエス様の命をかけたメタメッセージが鳴り響いています。そして、これが届く言葉の真骨頂なのです。