「真っ赤なお鼻の トナカイさんは いつもみんなの わらいもの でもその年の クリスマスの日 サンタのおじさんは いいました 暗い夜道は ぴかぴかの おまえの鼻が 役に立つのさ いつも泣いてた トナカイさんは 今宵こそはと よろこびました」。ご存知、クリスマスソング『赤鼻のトナカイ』です。この歌詞は元々、シカゴにあったカタログ通信販売会社「モンゴメリー・ウォード」が利用客への無料の贈り物として製作した物語の内容を歌ったものです。
物語の作者となったロバート.ルイス.メイは幼い頃から内気な性格で、少年時代の愛読書はアンデルセン童話『みにくいあひるの子』であったそうです。ユダヤ人家庭でしたが、特に宗教にとらわれない教育を受けました。やがて青年となり、30歳ごろに上述の通販会社に就職。コピーライターとして働くようになるのです。そして結婚もして子どもも与えられると、顧客に無料で贈呈する絵本の制作を任されることになりました。ところが、その執筆を手掛け始めた頃、彼の妻エプソンが癌を患ってしまい、寝たきりになってしまいます。4歳になったばかりの娘は「どうして私のお母さんは、みんなのお母さんとちがうの?」とメイに尋ねてきました。メイは父親として、悩み悲しんでいる娘に希望を与えたい、という思いから「みんなとちがうことは恥ずかしいことではなく、愛すべきことなんだよ」と答えます。しかし、ついに愛妻は就眠。娘と共に死別を悲しんでいるメイに、会社の支配人も心を痛めながら、絵本の執筆を他のスタッフに任せても良い、と提案します。が、メイは「今こそ、この物語が必要なのです」と答えて断り、1939年に『ルドルフ 赤鼻のトナカイ』という物語を完成させたのです。
- 濃い霧で視界が悪くなったあるクリスマスの夜、サンタクロースは街の明かりを頼りに子どもたちにプレゼントを配っていた。でも、夜が更けるにつれて明かりが消え、暗闇の中で道に迷う。屋内でも足を滑らせるなど失敗を重ね、夜明けまでに配り終えることができそうにない状況に陥った。そんな中、トナカイの子どもにプレゼントを届けに行くと、トナカイの子の鼻が光を放ち、部屋の中はほんのりと明るく輝いた。その明かりに希望を見出したサンタクロースはトナカイの子どもに協力を依頼する。トナカイの子「ルドルフ」は、赤く光る鼻を仲間にからかわれていたが、サンタクロースに頼まれたことを喜び、案内役としてそりを引くことを快諾。トナカイのリーダーとしてそりを引くルドルフの鼻の光に導かれ、サンタクロースは夜明け前に無事、すべてのプレゼントを届け終えた。ルドルフの故郷では、彼が残した置き手紙から、住人たちが事情を知って帰りを待っていて、サンタクロースに褒められながら戻ってきたルドルフを英雄として迎え入れる。その後も霧の夜には、ルドルフはサンタクロースの案内役として活躍するようになった -(以上、中井はるの訳参照/世界文化社、2025)。
一読してわかるのは「違いは恥ずべき特徴ではなく、愛されるべき個性である」ということです。これは恐らく、メイの愛読書であった『みにくいあひるの子』からヒントを得たことなのでしょう。そしてメイやその娘だけではなく、この物語を手にした何組もの親子がこの真実に気づき、親も子も自分を愛し、それと同じように家族を愛する者へと変えられていったことでしょう。友や見ず知らずの人々をも愛せるようになって行ったと思います。
その後、通販会社が児童書として絵本を発行したところ、250万部もの大ベストセラーになったとのこと。また、たくさんのグッズや日本でもおなじみの曲が生まれ、世界中で愛唱、愛用、愛読されるようになりました。その後、メイは再婚しますが、その妻も病死します。でも彼女の遺言を受け入れて、洗礼を受けました。自分自身を愛せなかった自分をも、独り子をお与えになるほどに愛してくださった神さまを信じて、です。ルドルフがメイならば、サンタは神さま、と言えますね。