2017/01/08

「弱さ」という希望

「弱いロボット」をつくり続けている岡田美智男さんという方がいます。ロボットというと十万馬力の鉄腕アトムのような「強いロボット」をすぐに思い浮かべてしまうのですが、岡田さんがつくっているのは、「一人では何もできないような、思わず手助けしたくなるロボット」、なんとも他力本願なロボットなのです。

たとえば、ゴミ箱ロボットは、ゴミ箱の姿をしたロボットで、広場をヨタヨタと歩いています。ゴミを見つけても、それを拾うアームは備わっていません。手を貸してくれる人はいないかと周りを見回している様子に気づく人がいて、ゴミを拾ってくれるとペコリとお礼をする、そんなロボットです。自分一人でではなく、他の人のアシストをうまく引き出して、結果的にゴミを拾い集めてしまいます。つまり、弱いロボットは、何でも自分でできるようにひたすら性能を高めることではなくて、自らは不完全なまま、他の人との関係の中から力を生み出していくことを目指しているのです。

岡田さんは、弱いロボットの働きを、赤ちゃんの働きになぞらえています。普通に考えれば赤ちゃんほど弱い存在はありません。でも、赤ちゃんは周囲の人たちの関心を独り占めにする不思議な力を持っています。その小さな手足は、いつまで見ても見飽きることがありませんし、その一挙手一投足が周囲の人たちの話題となります。赤ちゃんは、自分では何もできない弱い者であるからこそ、周囲の人たちのアシストを引き出し、人と人を結びつける強い力を発揮するのです。

思えば、イエスさまも無力な赤ん坊としてこの世に来られたのでした。そして、スーパーマンとして活躍されるのではなく、かえって人間の弱さを共有して生き、十字架で死んでくださいました。イエスさまは、弱くなってくださることで、神さまと人間との間の絆を結び直し、人間と人間との間をつなげようとされたのでした。弱さが人をつなぎ、助け合いを生み出すこと、人は強くなることによってではなく、支え合うことによって解き放たれることを教えてくださったのです。

星野冨弘さんの詩の中にこういう一節があります。「私は傷を持っている。でも、その傷のところからあなたのやさしさがしみてくる。…強い者が集まったよりも弱い者が集まった方が、真実に近いような気がする」。「弱さを誇ろう」という聖書が語る奥深い逆説のひとつの意味がここにあるように思えるのです。   (教会学校 校長)