2014/02/05

キリシタン 官兵衛

今年の大河ドラマは『軍師官兵衛』です。読者の中にもご覧になっている方があると思います。主人公の官兵衛は、本名を黒田孝高(くろだ・よしたか)と言います。信長や秀吉の家臣として仕えた賢い人でした。その才気煥発ぶりはドラマの中で楽しんで頂くとして、この「こひつじ」紙で注目したいのは、官兵衛が当時としては珍しく、妻を一人しか帯同しなかった、ということです。その理由として、多くの研究者たちは「彼がキリシタンであったからである」と考えます。

なるほど、と思いました。そう言えば、キリシタン大名であった高山右近や蒲生氏郷、小西行長も側室を持たず、やはり生涯ただ一人の妻だけを愛したひとたちでした。官兵衛も「死が二人を分かつまで一人の妻を愛する男、それがキリシタンたる夫である」と考えていたのでしょう。

主イエスが創世記を引用なさってこのように仰有っています、「…人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。だから、二人はもはや別々ではなく、一体である。…」(マタ19.5-6)と。元の言葉では「人」も「妻」も単数形で書かれています。つまり、主イエスの御心に適う夫婦一体のかたちは一夫一婦制であり、それが代々の教会で受け継がれてきたのです。

しかし、物の本によれば、官兵衛の妻櫛橋光(くしはし・てる)は浄土宗徒で、関ヶ原の合戦後、官兵衛がまだ生きている間に出家してしまいます。一般には妻が出家をするのは夫の死後でしたから、これは異例のことでした。しかも、光が出家した2年後に官兵衛は亡くなるのです。このような別れ方であった事を知り、私は胸を痛めずにはおれませんでした。
また、それだけに、「死が二人を分かつまで、同じ信仰を持って仕え合った(新島襄と八重のような)夫婦は何と仕合わせなことだろう」とも思った次第です。