星野富弘さんをご存知ですか。四季折々の花々を題材になさった詩画作家です。富弘さんは1946年4月24日に群馬県勢多郡東村(現みどり市)で生まれました。1970年春、群馬大学教育学部保健体育科を卒業後、すぐに高崎市立倉賀野中学校の体育教諭になります。ところがそのわずか2ヶ月後(6月17日)に器械体操のクラブ活動で、模範演技の指導中に誤って墜落し、頚髄を損傷しました。一時は危険な状態にありましたが、何回もの手術の結果、一命を取り留めます。しかし首から下の運動機能を失い、指一本動かすことのできない寝たきりの状態になりました。そして生きることも死ぬこともできず絶望し、心は荒み、日夜付き添って看護してくれる母親にも当たり散らして、何度も泣かせてしまったそうです。
それでも、応援してくれる人々のハガキや手紙には何とか返事を書きたいと思うようになり、1972年、口に筆をくわえて文や絵を書き始めます。するとある日、お見舞いに来てくれた友人から富弘さんは聖書を贈られます。そして母にページをくってもらって読んでいると「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」というイエスさまのお言葉に心を惹かれます(マタ11.28-30/口語訳)。そしてそれに従ってみよう、と思い立ち、かの友人を介して求道生活を開始。1974年に病室で洗礼を受けました。
その後、富弘さんは意欲的に製作活動をなさいます。その作品は全国各地で「花の詩画展」として展示され、多くの人々に感動を与えるようになりました。それは1991年、生まれ故郷に村立富弘美術館が建設されるにまで至ったのです。
2024年4月28日、富弘さんは呼吸不全のために78歳で亡くなりましたが、その作品は現在も多くの人々に愛されています。カレンダーをお持ちの方もあるのではないでしょうか。
富弘さんがお母さまへの感謝を詠み、また信仰の新しい目で詠んでおられる詩を2篇紹介いたしましょう。イエスさまに従った富弘さんの優しさ、強さが伝わってまいります。
「ぺんぺん草」
神様が一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が
本当にくるような気がする
神様が一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れる
ぺんぺん草の実を見ていたら
そんな日が
本当にくるような気がする
「木」
木は
自分で動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯 枝を張り
許される高さまで
一生懸命 伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている
木は
自分で動きまわることができない
神様に与えられたその場所で
精一杯 枝を張り
許される高さまで
一生懸命 伸びようとしている
そんな木を
私は友達のように思っている