今日は各ご家庭から花をお持ちいただき、礼拝堂を花で飾り礼拝をお捧げしました。
午後には花束を作って、教会学校の生徒たちが介護老人保健施設に行きました。そして、入所されている方・職員の方たちにお花を届け、讃美歌を歌い楽しいひとときを過ごしました。
2013/06/09
2013/06/01
絶望のとなりに
「アンパンマン」の作者 やなせたかし さんは聖公会所属のキリスト者です。漫画家として有名ですが、「手のひらを太陽に」を作詞なさった詩人としても知られています。このやなせさんがお書きになった詩の中に「絶望のとなりに」という詩があります。
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとはほほえんだ
「私の名前は
希望です」
私たちの人生には、納得の行かないことや、不条理としか思えないことがあります。そのために怒ること、泣くことがありますが、ある人は絶望してしまうこともあります。しかし、そんな時に、自分の隣りに希望があったら、どんなにすばらしいでしょう。
やなせさんは、その希望を見いだしたひとです。そこで手掛けたのが『あんぱんまん』という絵本でした。ひもじい思いをしているひとのところへ行き、自分の頭を食べさせて、その命を繋いであげるのです。この絵本にはバイキンマンは登場しません。必要ないのです。アニメ漫画になって勧善懲悪の筋書きが主流となりましたが、やなせさんが『あんぱんまん』に込めた願いは「あなたの隣りに希望は来ている」というメッセージを伝えることでした。そして、やなせさんにとって希望とは、人となられた神の子イエス=キリストだったのです。自分を生かすために十字架の上で体を割いて下さった主イエス、この方がやなせさんの「あんぱんまん」なのです。
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい誰ですか」
となりのひとはほほえんだ
「私の名前は
希望です」
私たちの人生には、納得の行かないことや、不条理としか思えないことがあります。そのために怒ること、泣くことがありますが、ある人は絶望してしまうこともあります。しかし、そんな時に、自分の隣りに希望があったら、どんなにすばらしいでしょう。
やなせさんは、その希望を見いだしたひとです。そこで手掛けたのが『あんぱんまん』という絵本でした。ひもじい思いをしているひとのところへ行き、自分の頭を食べさせて、その命を繋いであげるのです。この絵本にはバイキンマンは登場しません。必要ないのです。アニメ漫画になって勧善懲悪の筋書きが主流となりましたが、やなせさんが『あんぱんまん』に込めた願いは「あなたの隣りに希望は来ている」というメッセージを伝えることでした。そして、やなせさんにとって希望とは、人となられた神の子イエス=キリストだったのです。自分を生かすために十字架の上で体を割いて下さった主イエス、この方がやなせさんの「あんぱんまん」なのです。
2013/05/10
マツノギョウレツケムシ
ファーブルの『昆虫記』の中に“マツノギョウレツケムシ”(オビガの一種の幼虫。ただし、日本のオビガの幼虫は行列をつくらない)の観察が記されています。この毛虫は4月ごろ、土の中にもぐってサナギになるために、行列をつくって場所探しをする習癖があるのです。
ファーブルはこの毛虫をつかまえて、植木鉢の周囲をグルグルと回らせました。毛虫は前のものの後ろにくっついて一つの輪をつくることになり、その名の通り行列を始めます。鉢の下にはエサも置いてあるのですが、マツノギョウレツケムシは見向きもせず、ただ黙々と歩き回り、なんと8日間も休みなく、鉢の周りを回り続けたそうです。そしてとうとうその8日目に飢えと疲れとによって倒れ、輪が崩れてしまった、というのです。
8日間歩き続けるとは、それが虫の習性とは言え、毛虫の忍耐強さには驚かされます。また、それを見守ったファーブルの熱意にも心を打たれます。しかし同時に、8日間ぐるぐると同じところを回り続けた毛虫の人生(虫生?)に、果たして何の意味があったのだろうかと考えさせられてしまいました。
私たちは毎日を生きています。それは決して容易な生活ではなく、それぞれに自分の勤めや課題や困難と取り組みつつ、一所懸命に生きていると言えるでしょう。しかし、そうした毎日の歩みの中で、私たちは「何のために」「何に向かって」自分は生きているのか、と問い、またその答えを弁えているでしょうか。毛虫のように同じところをぐるぐる回るだけでなく、目標を目指して歩むことが人間として大事なことなのです。そして、その目標をどこに置くのか、ということが、私たちの人生を決定づけるのです。
2013/04/07
タイタニックから人生を考える
豪華客船タイタニック号、と聞けば、多くの人々が若い男女のラブストーリーを連想すると思います。そうであれば、それはアカデミー作品賞に輝いた1997年公開のハリウッド映画『タイタニック』の影響でしょう。それはそれで楽しく鑑賞すれば良いと思いますけれども、実際にこの客船が沈没してしまった背景に何があるのかを知ると、自分の人生について思い巡らさずにはおれなくなる筈です。
タイタニック号の名はギリシア神話の巨人族“ティーターン”に由来します。名に恥じず46,000トンもありました。ところが、この巨船は1912年4月14日(日)夜、旅客約3000人を乗せて出発した処女航海の途上、大西洋の真ん中で氷山に衝突してしまいます。実はその前に「氷山あり!」との無電を受けていたのですが、無線技師が「大丈夫」と言って警告に耳を傾けず、船長にも伝えなかったのです。二度目には船長に伝えましたが、今度は船長が「大丈夫」と高を括ってしまいました。そして、見張りの者が「氷山だ!」と叫んだ時には、もう遅かったのです。しかも巨船は「不沈船」とも評されていたため、愚かにも、それを理由に救命具を半分しか搭載しておらず、1053名が溺死してしまいました。
さて、人生を船旅に譬えるなら、人生航路を行くどの船の前にも死という氷山が前方に浮かんでいることになります。しかもその氷山は一日一日、こちらに近づきつつあります。もしも「自分は大丈夫」と言うなら、その根拠を示せなければ自分を欺いているだけでしょう。ちなみに筆者の「大丈夫」の根拠は、神による罪の赦し、そして主イエス=キリストの復活です。あなたの根拠は何ですか?
2013/03/31
2013/03/01
祈りの手
先月、会堂の中に飾ってあった絵を飾り直しました。
その中の一つに『祈りの手』という絵があります。これはドイツの画家アルブレヒト・デューラー(1471-1528)の作品で、ごつごつと節くれ立った両手を組み合わせている手首だけの絵です。
デューラーは若い頃たいへん貧乏でした。ドイツのニュールンベルクでハンスという友人と2人で絵の修業をしていましたが、食べることに苦労する毎日でした。そこでお互いに約束し合い、一人が絵の修業に打ち込めるように、もう一人は働いて生活費を稼ぐことにしました。すると数年後、先にデューラーの名が知られるようになり、彼の木版画が売れ始めたのです。デューラーは喜び、ハンスにそれまでの助けを感謝して、今度は自分が働くから君が絵の修業に打ち込んでほしい、と願い出ます。ところが、長い間の激しい労働のために、ハンスの手はもはや絵筆を持つにはあまりにも節くれ立っていて、細かい筆遣いはできなくなっていたのでした。デューラーは、自分の名声の影で友人がどんなに大きな犠牲を払っていたのかを思い知ります。そして自分がハンスに恨まれていると考えてしまうのです。ある日、デューラーは意を決し、ハンスの赦しを乞いに彼の家を訪ねました。するとハンスが奥の部屋で、デューラーが名声を得たことを神に感謝し、デューラーの誤解を解いてください、と祈っているのを聞いたのです。これに感動したデューラーは、そのハンスの祈りの手を永久に残そうと思い立ち、あの不朽の名作『祈りの手』を完成させたのでした。
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