ところが、その年の8月15日に日本が敗戦。三木は、自分が特攻機を設計して若者達を死に追いやった罪責の念に苦しみます。そこで、既にキリスト者となっていた母親と妻の勧めもあって教会に通い始め、「凡て勞する者・重荷を負ふ者、われに來たれ、われ汝らを休ません」との聖書の言葉に触れ(マタ11.28)、同年12月に中渋谷教会で受洗しました(後に鎌倉雪ノ下教会に転会)。それから国鉄に移り、「これこそ純然たる平和産業」と考え、車両構造研究室長として新幹線を研究するのです。そしてついに1964年、航空機の特徴である流線形を先頭に採り入れて空気抵抗を減らした「0系」電車を発表したのでした。
2000年5月、NHKの『プロジェクトX』という番組の中で東野尚志鎌倉雪ノ下教会牧師(当時)の説教のシーンが映り、何事かと思って見入りました。それは「執念が生んだ新幹線/老友90歳・飛行機が姿を変えた」という題の特集でした(第7回放送)。その中で三木さんがインタビューに答え、「とにかく戦争はもうこりごりだった。だけど、自動車関係にいけば戦車になる。船舶関係にいけば軍艦になる。それでいろいろ考えて、平和利用しかできない鉄道の世界に入ることにしたんですよ」とお話しになっていたことが今でも忘れられません。
特攻機から新幹線へ。北陸新幹線に乗りながら、私は戦争の悲惨さと三木さんの悔い改め、そして信仰に思いをめぐらせておりました。
ちなみに、今年4月20日は三木忠直兄就眠10周年記念日です。